ずっと誤解されることや濡れ衣を着せられることに対して、恐怖があったのですがその恐怖が減りました。
その恐怖が減った理由は「誤解をされること」や「濡れ衣を着せられる」自分でいるのをやめようという気持ちになったからです。
どうして、それまでは「誤解をされること」や「濡れ衣を着せられる」自分でいるのを辞めようと思えなかったか。
それは「家族からの条件付けの愛」でも欲しかったからです。
つまり、「誤解をされることや濡れ衣を着せられる自分」=「家族からの条件付けの愛をもらえる」という状態だったから、自分がそれを受け入れていたのでした。
もう、「家族からの条件付けの愛」なんていらない。自分を大切にする。
そう決めてからは、誤解されることや濡れ衣を着せられることに対して、恐怖が減っていきました。
このことを自分で理解するために、色々なことを書き出しました。
書き出すことで徐々に自分の気持ちや過去のことが整理できてきて、自分が何を怖がっていたのか、
何が悲しかったのか、寂しかったのか、色々わかってこのことに辿り着きました。
そして「誤解をされることや濡れ衣を着せられる自分」から
「誤解をさせず濡れ衣を着せられない自分」になろう。そうシフトしました。
結局は、「条件付けの愛」という釣り針付きの餌に食いついていた自分だったのです。
「誤解をされることや濡れ衣を着せられる自分」でいれば認めてもらえる。
そんな状態から抜け出せないでいたのです。